2019シーズン本拠地開幕戦となる4月2日(火)対千葉ロッテ戦に、埼玉西武ライオンズの前身球団、西鉄ライオンズOB中西太氏の来場が決定しました。
中西太氏といえば、“野武士軍団”と称された1950年代の西鉄ナインの中核打者として、数々の記録と今なお語り継がれる多くの伝説を残した大打者で、また監督(選手兼任監督)としても1963年には西鉄をリーグ優勝に導いています。さらに現役引退後も、指導者として当日の対戦相手である千葉ロッテをはじめとした数々の球団で多くの名選手を育て上げた球界のレジェンドです。
当日の試合開始前には、球団創設70周年を記念して、1950年の西鉄クリッパース創設以来、福岡・埼玉とチームが歩んできたこれまでの歴史を振り返る本拠地開幕セレモニーを実施しますが、中西氏にはそのセレモニーの中で両チームならびにスタンドのファンの皆さまに向けたセレモニアルメッセージと始球式を行っていただきます。
また、国歌独唱は埼玉県熊谷市出身の声楽家、バリトンの原田勇雅氏が務めます。昨年イタリアで開催された「モンテカティーニ国際オペラコンクール」のオペラ部門で日本人として初優勝するなど将来を嘱望される若手演奏家が、地元埼玉でその美声を披露いたします。
過去と未来をつなぐ、球団創設70周年に相応しい本拠地開幕セレモニーにどうぞご注目ください。
1952年に高松第一高から西鉄ライオンズに入団し、新人王を獲得。翌年には史上最年少でトリプルスリーを達成したほか、本塁打王と打点王の二冠も達成。以降も、西鉄野武士軍団の中核打者として、毎年三冠王に近しい成績・タイトルと、ファンの記憶に残る数々の伝説を残した。1962年に28歳の若さで監督(選手兼任)に就任。1963年には首位南海との最大14.5ゲーム差を逆転し、西鉄をリーグ優勝に導いた。1969年の現役引退後も多くの球団で監督・コーチなどを歴任し数々の名選手を育て上げた。1999年に野球殿堂入り。
「球団創設70周年おめでとうございます。このような記念すべき年の開幕戦にOBとしてお呼びいただき光栄です。僕の現役当時、ライオンズの本拠地は福岡の平和台にあり、熱いファンが毎日球場に押しかけていました。勝った負けたで声援もヤジもたくさん受けました。引退後もいろいろな球団の指導者としてプロ野球を見てきましたが、僕はライオンズのファンの応援が一番熱く、温かいと感じています。4月2日、ファンの皆さんと同じ場に立てることを楽しみにしています。」
熊谷市出身。東京藝術大学卒業、同大学院修了。文化庁在外研修員として渡伊、国立パルマ音楽院を最優秀で修了。在学中二度のコンクール優勝を始めモンテカティーニ国際オペラコンクール優勝。オペラの舞台に多数出演の他、合唱指揮、脚本、ゲーム音楽主題歌など幅広く活躍。熊谷少年少女合唱団音楽監督。埼玉純真短期大学客員教授。二期会会員。父、兄共に野球を職とする家庭に育ち、自身は熊谷高校在学中陸上選手から音楽家へ転身。スポーツマンシップをもった歌手として文化の架け橋となり、愛する埼玉から世界へアートを発信するのが夢。
3試合連続!4/2(火)~チャンピオン開幕シリーズで、チャンピオンリングほか “チャンピオングッズ”を来場者全員(※)に配布!