1950~53年
“野武士”軍団養成

パ・リーグは南海最強時代。
後に、西鉄と激戦を繰り広げる南海だが当時は圧倒的な強さを発揮していた。2リーグ制が導入された昭和25年、西鉄はクリッパースというニックネームでパ・リーグに所属した。そして、昭和25年のシーズン終了後、セ・リーグの西日本を吸収合併し、西鉄ライオンズが誕生した。1951年から“知将”三原脩監督のもと、打撃陣の強化を図り奏功するが、投手陣の強化が遅れていた。

1953年、打撃陣では大物新人豊田泰光が加わり、2年目中西太の成長もあり、さらにその迫力が増した。投手陣では川崎徳次を中心に、新入団の西村貞朗、河村英文などが徐々に力をつけ、「野武士軍団」がその力を発揮する前兆をのぞかせはじめた。

監修:杉山茂(スポーツプロデューサー)

チーム成績

チーム名 監督 順位 試合数 勝率
1950年 西鉄クリッパース 宮崎要 5 120 51 67 2 0.432
1951年 西鉄ライオンズ 三原脩 2 105 53 42 10 0.558
1952年 西鉄ライオンズ 三原脩 3 120 67 52 1 0.563
1953年 西鉄ライオンズ 三原脩 4 120 57 61 2 0.483

打撃成績

打率 試合 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁
1950年 0.254 120 4136 493 1050 164 23 79 451 115
1951年 0.242 105 3555 429 860 141 26 63 393 92
1952年 0.261 120 4082 532 1066 194 39 94 499 100
1953年 0.253 120 4128 487 1043 178 45 114 454 122

投手成績

防御率 試合 勝利 敗北 完投 完封 投球回 奪三振 失点
1950年 3.87 120 51 67 52 7 1076 407 583
1951年 2.75 105 53 42 35 8 956 351 367
1952年 3.08 120 67 52 45 11 1076 368 481
1953年 3.05 120 57 61 41 13 1100 533 477